【黎明期】
1995年
夏頃
初代Mike Rutherford役「佐々木城夛」、健康ランドの帰りに立ち寄った質屋でベースとギターのダブルネックを発見。すぐ購入。
数々の有名プログレバンドを輩出した「某KO大学ユーロ研」の創始者Tony Banks役「馬渡知樹」と
「GENESISやろう!」と意気投合。メンバー募集のちらし(連絡先のひらひら付)をレコードショップに掲出。
秋頃
disk union新宿店に貼られたメンバー募集のちらしを見て、Phil Collins役「中島靖雄」参加。コレクションの音源などを渡し、GENESIS好きをアピール!逆に逃げられないようにする。
その2週間後
Chester Thompson役「源中 功」も同じちらしを見て参加。
Steve Hackett役のギタリストが確定しないまま、ライヴに向けて練習開始。
1996年
07月13日
新宿DOKIDOKIにて初ライヴ。このライヴ、実はPhil中島の当時働いていた会社のイベント。
ギタリスト「田中健士(interpose+ ex.Aslan,LiBiDo)」を「Steve 助っ人」として迎える。
08月
Mike佐々木、転勤によりLondonへ行く事になる。大学と職場の後輩だった「神蔵 治」がSteve Hackett役として紹介され、加入。
09月
後任のMike Rutherford役をちらしやインターネットなどで募集開始。
10月18日
Mike佐々木さよならコンサート at (今は故き)吉祥寺ZEN。対バンはジャズバンド。
11月
Mike Rutherford役「山口和利」ネットを見て応募。いきなりのプロミュージシャンの参加で一同ビビる。売り文句は「Mikeと一緒で髪の毛が長いです。」
12月
Steve Hackett with Friendsのコンサート。全員で観に行く。俺たちが頑張らないと駄目だな!と勘違いをする。
1997年
01月
特訓開始(練習ではなく、この頃から一気にハードルが高くなる。笑)
Mike山口は12弦とベースをカスタムメイドで作ったりと、そんな本気度が後にメンバーに伝染していく。
06月
日本におけるGENESISを完コピする目標に向け「復刻創世記」をバンド名とする。命名:Phil中島
07月26日
初のワンマンライヴ at (今は故き)吉祥寺ZEN
08月
休む間もなく「復刻作業」開始。
バンド名が変わると、練習も「復刻作業」と呼び名が変わる。でもメンバーはあまり使っていない。
1998年
03月22日
PRR企画「Watch Your Progress round 4」
at 新宿アンティノックにてライヴ 対バン:Aslan(YES tribute banc)
04〜08月
オフ・・・といいつつ、バンドで温泉行ったりする。
09月
復刻作業開始
11月
Steve神蔵、ベースペダル「Moog Taurus I」購入。「GENESISと同じだぁ!」と喜ぶメンバー。
12月15日
復刻創世記ホームページ開設
1999年
01月
Mike山口もベースペダル「Moog Taurus I」購入。「さらにGENESISと同じだぁ!」と喜ぶメンバー。
03月07日
Nifftyのロックセッションに参加。
Chester源中とPhil中島で「A Trick Of The Tale」と「Firth Of Fifth」を演奏。
06月06日06時
仕掛けたような世紀末
「666 is no longer alone」
復刻創世記ワンマンライヴ at 吉祥寺Silver Elephant
07月31日
Freddie中島、Roger源中、Brian神蔵、そして後にMike役として
復刻創世記に加入することとなるJohn Deacon「田原洋信」で
初期QUEENを演奏(バンド名はぷい〜ん) at 西荻窪ターニング
09月05日
PRR企画「Progressive Rock Renaissance 99 Vol.3 ~究極の怪奇骨董展覧会~」
at 目黒 The Live Station 対バン:Aslan(YES tribute band)、ラキシス(EL&P tribute band)
11月07日
東京国際映画祭 最終日 ディズニー映画「TARZAN」上映。
上映後、Phil Collinsのライヴ。Tony馬渡(欠席)以外、最前列でかぶりつき。盛り上がる。
12月11日
元ページェントの中嶋一晃率いる「浪漫座」観戦。
アンコールでPhil中島が突然呼び出されて「Firth Of Fifth」を歌う。
2000年
03月11日
復刻創世記 ワンマンライヴ at 吉祥寺Silver Elephant
06月03日
復刻創世記「源中夫妻WEDDING PARTY」at 六本木BAUHAUS。この時点における史上最短ライヴ。
10月29日
Tony馬渡以外のメンバーでプログレコピーバンドのイベントに行く。
その頃、Tony馬渡はハモンドの2段オルガンを落札!
2001年
01月07日
復刻創世記 ワンマンライヴ at 吉祥寺Silver Elephant
06月〜
Phil中島 体調不良により入院。ここから、その後も入退院を繰り返す。
Steve神蔵 バンド機材運搬用に、という理由からベンツをワゴン車に買替え。
Phil中島のお見舞い時に初披露。
08月
本家GENESISサイトから「Tribute Bandコーナーに紹介しても良いか?」という打診がWebMasterよりある。
「しょーがねぇなぁ。紹介されてやってもいいぜ!」と翻訳ソフトで、丁寧に答える。
その後もコピーバンドがわんさか出てくるが本家のサイトに紹介されているのは我々だけである。
本家ジェネシスのサイトはこちら。GENESIS-Music.Com
09月
Phil中島 再入院
11月16日
イギリスのラジオ番組「RADIO2」にて、Phil Collins、Tony Banks、Mike Rutherfordの3人がインタビューを受ける。
その中でインタビュワーRichard AllinsonがTribute Bandを紹介。「復刻創世記」の名前が取り上げる。
内容はこんな感じ・・・・・。
Richard Allinson:(世界各国のトリビュートバンドを列挙している)....ドイツの「スティル・コリンズ」、
それから.......これは発音気をつけないとなぁ、 「ファッキューキュー・スゼーキ!?」....
Phil、Tony、Mike:(沈黙)....ハッハッハッ(笑)!...
Phil Collins:なんかイタリア語みたいだね(笑)......
Richard Allinson:いや、日本のバンドらしいよ(笑)
と、音源や映像なくして本家を笑わせたのは、数多いTRIBUTE BANDでも我々位であろう。自慢だ(笑)。
12月27日
復刻創世記史上最短記録更新ライヴ
at 六本木BAUHAUS(21:00~)にて。
Mike山口のBirthday企画の一部。これがこの時点におけるメンバーによる最後のライヴとなる。
【停滞・迷走期】
2002年
06月
Phil中島 体調不良全開!再々入院
短い入院だったが、この間に仮押さえをしていた2daysライヴをキャンセルされ、
Phil中島、メンバーに対し、攻撃(口撃)的に凶暴化していく。当時、本人には全く自覚なし。
07月
Phil中島 バイクに跳ねられ、足骨折&肩の筋が変形。再々々入院。よって、復刻作業は休業状態となる。
11月
Steve神蔵、「レスポール発売50周年記念イベント/レスポールの似合う人コンテスト」に応募。
メンバーの必死の投票も届かす、優勝できず(涙)
年末
中島vs山口メールバトルから、山口脱退宣言。翌日(か翌々日)神蔵家へ機材を取りに来る。
メンバーの説得にも応じず。この後、Tony馬渡とSteve神蔵が職場まで説得に押しかけたが・・・。
2003年
02〜06月
Phil中島のドラマーリハビリの為、とにかく残ったメンバーでThe Cinema Showを中心とした練習を繰り返す。Steve神蔵、仮Mikeになる。メンバーの暖かくも超厳しい特訓のおかげでPhil中島、ドラマーとして、なんとか復活する。
08月
Mike Rutherford役「山口和利」正式脱退・新たにMike Rutherford役を募集。
Steve Hackettが「Guiar Wars」で来日。来日に合わせたサイン会イベントでSteve神蔵はギターに、Phil中島はフラワーマンのマスクにサインをもらう。
その1週間後、Steve神蔵、厚木に転勤。
09月
メンバー募集を行うものの、やはりプロミュージシャンの後釜はキツいのか?それともMike Rutherfordのパートが人気がないのか?なかなか後任が決まらない。何人かの人にスタジオ練習で手伝ってもらったが、なかなか納得できる人が現れない。
12月初頭
Phil中島から「田原くんはいかがか?」と提案。なぜか全員と既に知り合いという事もあり、あっさり決定。「GENESIS好き」より、「GENESISを好きにさせてしまえ!」という作戦に変更。もちろん本業はベーシスト。さらに、逃げられないように、前任者のダブルネックを下取りさせ、前任者のMoog Taurus Iまでもバンド購入し、その一部を負担させてしまう。(ほとんどヤクザだ)
2004年
02月15日
新メンバーを加えての初練習。
05月04日
ギタートリオの練習と慰安を兼ねて、全員でSteve神蔵の厚木宅へ集合。ほとんど旅行気分。「温泉あるでしょ!行こう行こう」と近所の温泉へ。Tony馬渡、そこで滑って左手肘を複雑骨折する。ちなみに「まずは温泉で親睦を深めよう。」と言い出したのはTony馬渡。休日のため、病院をいくつか回る。応急処置をして後日手術。でも、そのまま全員で焼き肉を食べに行く。
手術は、無事済んだものの「指は動くでしょ?」と強引に復刻作業再開。
【助走期】
2005年
初頭
新しくドメインを取り直し、バンドのホームページをリニューアル
03月21日
新しい5人組となった復刻創世記のワンマンライヴ
「A Trip of The 70's」at 吉祥寺Silver Elephant
05月
Tony馬渡、腕に入っていたワイヤーを抜く手術。
【復活・一部低迷期】
2006年
10月07日、08日
11月26日
Steve Hackettアコースティックトリオで来日。
Phil中島、仕事でSteve Hackettに直接インタビュー。その半分の内容が機材やGENESIS時代のパート担当チェックなど、復刻創世記用の質問であったことは作戦通り。※このインタビュー記事は、beatleg magazine 2007年の2月号に掲載されています。
2007年
02月17日
復刻創世記 at 目黒The Live Station ★詳細はこちら。
Phil中島 ドクターストップによりGENESISのREUNION海外ツアー行けず、ふてくされ病にもなる。キャンセル料がドカンとかかる。チケットはただの記念アイテムに…(号泣)。
12月
Phil中島 再々々々入院。最長の8ヵ月入院。
2008年
11月〜
Phil中島の復帰に伴い、本格的に復刻作業再開
2009年
ほぼ隔週で一年間、ずっと復刻作業。
12月〜
毎週、復刻作業。
4年ぶりにホームページリニューアル。
2010年
03月06日
3年ぶりのワンマンライヴ 「懐古滑稽音楽箱」
at 吉祥寺Silver Elephant ★詳細はこちら。
04月10日
「あら〜〜〜。」な突然のSteve 神蔵 脱退(★脱退のコメント)
05月17日
ギタリスト募集開始
08月頃
自薦で応募者現れる、が、今度はリーダー馬渡が「休みたい」オーラを噴出。
それにまったく気がつかないPhil中島、勝手にバンド活動続行。
結果「そして、リズム隊3人が残った」状態。
【復刻調整期】
2011年
年頭
復刻作業開始
といいつつ、メロディ隊が変わって、ほとんど一からの復刻作業
05月
コンパクトなライヴをやろうという流れになる。
06月
Phil中島、レコード・コレクターズの取材を受ける。
07月15日
「レコード・コレクターズ2011年8月号」
大鷹俊一のコレクター紳士録にPhil中島登場。バンドも合わせて紹介される。
そして、偶然にもライヴが決まっている。いやぁ、参ったなぁ〜。
08月頃
すでにライヴを終える前に、メンバー探しの旅に身支度を整えていたPhil中島。
「GENESISが好きで好きで死にそう!」という仲間とバンドがやりたい。
復刻創世記の名前を隠し、Phil中島は「東京Philハーモニーさん」という名前で
Tony Banks役を探し行脚した。
そんなある日、「こちら、Tony銀行です」というナイスな返事が返って来た。
上野駅のハードロックカフェで、落ち合い、
その圧倒的な機材の量と「80年代まで、すべての時代のGENESISができます!」という
完璧なプレゼンテーションに、Phil中島、完全ノックアウト。
Tony Banks役「岩崎(イワノフ)よしあき」加入。
09月10日
両国SUNRIZEにてライヴ:共演 YES tribue band「SPYES-スパイズ」★詳細はこちら。
09月25日
新メンバーを迎え、第一回ミーティング at 新宿三丁目あたりの喫茶店
10月 〜
またもや、一から復刻作業開始
すでに2週目にしてTony岩崎、Epiphoneの12弦アコースティック・ギターを購入。
その行動力に感激のPhil中島!友人に
「今度のキーボーディスト、凄いんだよ!もう12弦のギターまで買っちゃってさ!
しかも、Tony Banksと同じメーカーのだよ!!」と言ったのも束の間、
友人、冷ややかに「中島さん… また、そんなことさせてるんですか?」…
【続・復刻調整期】
2012年
01月 〜 12月
毎月、隔週2回を目標に、ず〜っと地下に籠って「復刻作業」。
すべての曲は、リセットされ、ひたすら「特訓」付の「反復練習」が続く。
「なぜ、こんなことをしてるのだろうか?」という考えがよぎる。
「そ、それは考えちゃ、駄目なんだ!とりあえず耐えて頑張るんだ」という日々だけが過ぎていく。
【復活・復刻創世期】
2013年
01月 〜 04月
練習にメンバーが揃わなかったり、バンドはあまり良い雰囲気ではない状態。
何よりも1年半もの間、これだけ練習してレパートリーが、1時間30分にも満たないという状況。
ライヴも押さえてみたものの、どうもバンドとして覇気がない。一旦キャンセル。
バンド自体を、どんがらがらがっしゃん状態にする衝動に駆られる。
そう!スクラップ&クラッシュだ!
05月
スケジュールが上手く合わなかったり、なんだかんだの理由でギタリストに辞めてもらう。
その後も、知り合いに打診したり、脱退したメンバーにまで食事という名の
強引説得会にのぞむなど、勧誘行為はカルト宗教団並みに激化。
06月09日
GENESISを弾き続け20年以上という人間がいる。
彼とSteve Hackett来日時に宴会で話せる機会を得た。
ギタリストであれば、いやGENESISファンであれば、Steve Hackettのコンサートを観た後に
「もっと、GENESIS演奏したーい」と判断力・思考力が制御できない状態になるはず。
そんな状態の彼へ、Phil中島の言葉巧みな甘い甘い誘い… 彼は2秒で落ちた。
Steve Hackett役「松田 敦」加入。
07月07日
Steve松田を加えての初スタジオ
1ヵ月弱の期間にSteve松田はレパートリーの8割越(当社比)を完全コピー。
復刻メンバー全員、ブッ飛ぶ。練習後、謎の達成感に浸る復刻メンバー。
そこへ、Steve松田「あ、あの、次回も来ていいんでしょうか?」
メンバー一同「何、言ってんの?当り前でしょーが」
07月~
ワンマンライヴへ向けて、レパートリーも増やし「復刻作業」開始
12月21日
目黒 The Live Stationにおいて、4年ぶりのワンマンライヴ ★詳細はこちら。
究極のプログレッシヴ・トリビュートSHOW 2019年02月10日 心斎橋Soma
2014年
02月 〜
「もっと一体感のある演奏を!」の合い言葉の元、復刻作業再開。
場慣れも踏まえ、タイトな特訓がスタートする。
04月 〜
Steve 松田、なんと静岡県に転勤。
「やることないから、平気っすよ」と週末は都内スタジオへ旅行。
08月23日
復刻創世記主催「ニッポン・カリスマ・フェスティヴァル」
吉祥寺 Silver Elephantにおいて
共演:Steve Hackett tribute band 「HAGETT(ハゲット)」★詳細はこちら。
09月14日
次回、ライヴに向けて、特訓開始…
10月18日
復刻創世記主催「ぷろぐれ祭 2」
両国Sunrizeにおいて
共演:YES tribute band 「SPYES(スパイズ)」★詳細はこちら。
10月26日
初の関西ツアーに向けての最初で最後のリハ。2014年の集大成とすべく、土壇場で1曲追加。
11月01日
「プログレ三都物語」
大阪 中津Vi-codeにおいて
共演:King Crimson cover band 「22世紀の遺言者たち」(大阪)
Emerson Lake & Palmer tribute band「The Sons Of Eve」(名古屋)★詳細はこちら。
11月19日
日本初のGENESISムック本
シンコー・ミュージックMOOK「THE DIG Special Edition ジェネシス」発売。
誌面にて、日本のTribute Bandとして、復刻創世記が紹介される。
さらに、Tony Banksのキーボード変貌の解説でも、メンバーTony岩崎、大活躍!
なんだかんだで、復刻創世記周りで10ページ近く誌面を割いてもらう。嬉し。
★そんなこんなの裏話はこちら。
その後…。
復刻創世記のライヴ映像鑑賞・反省会などをしつつ、
ジェネシス関連の作品映像鑑賞会などもしつつ、
来年の活動に向けての予定や課題曲・目標設定、さらに新年書き初め大会へ進む…(うそ)
【復刻創世記:20周年】
2015年
02月 〜
気が付けば、バンドを結成して20年が経つ。
すでに創始者もいなくなり、オリジナルメンバーもドラマー2人となった。
これまでのアンケートをまとめ、リクエストに応えるセットリストにて特訓再開。
10月10日
「復刻創世記 20周年記念ワンマンコンサート」
怒濤の3時間 GENESIS 漬けの一夜 ★詳細はこちら。
11月01日
beatleg magazine 12月号 Vol.185に
復刻創世記が4ページに渡って紹介・特集される。
12月05日
東京ザッパラス presents
【Frank Zappa・Genesis Tribute Show】
共演:Frank Zappa カバーバンド「東京ザッパラス」★詳細はこちら。
【21年目の復刻創世記】
2016年
04月30日
初の名古屋遠征
【究極のプログレ対決 GENESIS vs EL&P】
共演:EL&P tribute band 「The Sons Of Eve」★詳細はこちら。
05月19日
河出書房新社より国内2冊目となる「ジェネシス」ムック発売
Phil中島とTony岩崎が記事を執筆。
11月05日
2度目の関西遠征 「復刻創世記 presents」
【今宵、プログレッシヴという名の「懐古」と「浪漫」を…】
共演:関西プログレの重鎮「中嶋一晃」率いる「浪漫座」★詳細はこちら。
【メソメソ復刻創世記】
2017年
01月14日
大新年会
05月21日
次回ライヴに向けて復刻作業開始。
06月初旬
Phil 中島の親父が亡くなったり、メンバーの転職があったりで
全員が揃わない練習が何ヵ月も続く。シフト制勤務かよ!?
10月07日
Mike Rutherford役 田原洋信 急病により永眠。52歳。
10月15日
Mike田原と最後のスタジオ・リハーサル。もちろん、そこに本人はいない。
が、残されたメンバーで充実した演奏が出来た。
リハ後ミーティングを開き、今後もバンドは存続させていこうと決定。
そして、新たなメンバー探しの旅が始まる。
10月22日 午前
形見分けの儀@Mike 田原家。
ご遺族から「ぜひ、復刻創世記のみなさんに機材は受け継いでほしい」と言われ
「そんなそんな申し訳ないです」と0.2秒思いつつ
「ぜひ!」と言ってしまう正直なメンバーたち。
ダブル・ネック、リッケンバッカーのベースなどを譲り受ける。
10月22日 午後
この日は土砂降りの天気。
田原家を後にし、重い荷物を担いで新ベーシストと初顔合わせ。atマクドナルド東高円寺店
すでにお友だちだった須藤俊明さんに中島がコンタクト。
「こんな状況なのですが、何もなかったようにバンドを続けたいです。
一緒にやりませんか?という打診というかお願いというかラヴコールです」と三段お願いトークでお誘い。
「私で良かったら、ぜひ!」との即行快諾にメンバー狂喜乱舞。
これをトントン拍子と言わず何拍子といえよう?
11月19日
須藤俊明 Mike Rutherford役として参加。
初のスタジオリハーサルにて。課題曲以上のコピーをこなし、その正確なプレイに一同驚き喜ぶ。
曲が終わった瞬間、全員の口から出た言葉。「すっげ〜!」
【待たせたな!復活創世期!何度目?】
2018年
02月11日
究極のプログレッシヴ・トリビュートSHOW 2019年02月10日 心斎橋Soma
04月
Steve松田のお父さまがお亡くなりになったり、イワノフさんのお母さまが怪我をしたりで、またもやメンバーが揃わない春。それでも秋にはライヴが決定しているのだ。さぁ、どうするどうなる「復刻創世記」。
05月
須藤俊明 加入発表!
シンコー・ミュージックよりムック
「見て楽しむアナログ・シンセ図鑑」発売。
イワノフさんの機材、大量紹介!それでも持っている機材の一部。
8月
10月に行うライヴのチケットが史上最速の2週間で
SOLD OUTになってしまうという快挙!感謝&ごめんなさい!
10月28日
東京では3年ぶりとなるワンマンライヴ
【ALBERT SHOW】開催!★詳細はこちら。
12月03日
音楽機材のネット通販大手「サウンドハウス」のBlogに10月のライヴを紹介いただきました。
★詳細はこちら。
【3歩進んで5歩下がる的な・・・】
2019年
02月10日
3度目の来阪
大阪心斎橋somaにてライヴ
【究極のプログレッシブ・トリビュートSHOW!)(関西編)】
★詳細はこちら。
共演:The Sons of Eve (Emerson Lake & Palmer)
04月16日
Tony岩崎 脱退
お仕事の昇格に伴い「わーい!さらに無駄遣いしてー!」と喜んだのも束の間。
「責任ある立場となり、物理的にも精神的にも続投は無理ではないかと思います」と悲しいお知らせ。
約8年間、本家と同じキーボードセットを揃えるなど素敵な夢を見させていただきました。
ありがとうございました!
06月30日
前回、前々回のライヴの打ち上げ(ようやく) @ 新宿「天空の雫」
夜景を眺めながら・・・という謳い文句ながら通された個室は窓のない部屋。先行き不安なバンド活動を予感させる何かが・・・。打ち上げは楽しかったけど。
〜11月までPhil中島ダウン!そしてOff!
春先にPhil中島、電車内で倒れて以降、体調を一気に崩しバンドどころか何も進められない状態に。
どうなる!どうする?復刻創世記!
12月
Phil中島の復活に伴い、Tony Banks役募集開始。
キーボーディスト募集ではなくTony Banks役の募集にこだわるあたりが、このバンドの相変わらずバカなところ。
12月07日
忘年会 & Phil中島快気祝い@秋葉原の天狗
【...そして4人が残った...】
2020年
03月
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